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移住者体験談

松川潤

その場所のやり方を受け入れる“対応力”が最も大切だと思いますね。

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  • 漁業
松川潤

平郡島に移住してこられたのはいつですか?

早期退職をして、2007年に移住してきました。その前は、神奈川県内の高校で33年間、社会科の教員をしていました。素潜りが趣味だったので、退職をしたら漁業権を取得して、思う存分素潜りを楽しみたいと思っていました。それと、都会での年金暮らしはキビシイだろうというのもありましたので、田舎ぐらし、できれば島ぐらしをしたいと思っていました。やっと永年の夢がかなったという感じですね。

平郡島に興味をもつキッカケを教えていただけますか?

赴任先で、平郡島の出身者と出会ったのが最初のキッカケですね。大学の卒業論文で伊豆七島をテーマにするなど、島にはずっと興味があったんですが、平郡島のことは全く知りませんでした。それでインターネットで平郡島の情報を探していたら、地元の若い漁師が開設しているホームページをたまたま見つけて、そこに書き込みをしたり、ホームページ上でのやり取りを見たりしているうちに、ドンドンと平郡島に興味が湧いてきました。それで2006年に、実際に現地に行ってみることにしました。

画像:山口県へのIターンで開業・創業した先輩 仕事風景 その2

島を訪れたとき、どんな感想をもたれましたか?

ホームページを開設されていた若い漁師の方にお会いして、色々とお話を聞かせてもらいました。試行錯誤をしながら漁業に取り組んでいる姿に、とても好感を持ちました。印象的だったのが、「自分は移住することを歓迎するけど、もしかしたら歓迎しない人もいるかもしれない」と言われたことです。そう言われると、普通なら尻込みをしてしまうかもしれないですが、自分の場合は、逆に肩の力がスッと抜けました。「みんなが待ってるよ!みんなが大歓迎するよ!」と言われるよりも、それぐらいの心づもりでいた方が、プレッシャーも少なくてちょうどいいのではないでしょうか。素潜り漁をやりたいという夢があったので、高齢化が進んでいる平郡島では、他のエリアに比べて漁業権が取得しやすそうだということもわかって、移住したいという気持ちがより一層強くなりましたね。

移住することに対する不安はありませんでしたか?

子どもが1歳半の時に移住してきたんですが、当時は、島にある唯一の小学校は休校になっていました。そこが唯一の不安だったんですが、就学する子どもがいれば再開校するという約束があると聞きまして、その言葉を信じて移住を決めました。再開校されるかどうかは、半信半疑でしたが、約束通りに再開校が決まってホッとしましたね。今は4人の子どもたちが元気に通っています。田舎への移住を考えるとき、お子さんの教育環境について不安をもたれる方は多いと思います。でも、万全の教育環境が整っていたとしても、子どもがそれに沿って育ってくれるかは全くの別問題です。どんな場所にいても、その子が育つようにしか育たないのではないでしょうか。

画像:山口県へのIターンで開業・創業した先輩 仕事風景 その3

島での暮らしはどうですか?

移住してきて一番良かったと思うことは、世の中の動きに惑わされなくなったということでしょうか。流行を気にしても、平郡島では手に入らないというのもありますし、もしそれが手に入らなくても、生活に困ることも全くありません。田舎で暮らしたいのであれば、都会と同じような便利さを求めるのではなく、今までとは180度考え方を変えて、何もないということを前提とした暮らし方を考えていく必要があると思います。モノが無ければ無いなりに、人間って案外暮らしていけるもんですよ(笑)。不自由な島での生活は、自分のキャパシティーを確実に大きく広げてくれましたね。それでも、移住した当初に比べれば、インターネットと物流網の発達したことにより、ずいぶんと便利になりました。でも、それを当たり前のこととして、捉えない方がいいのではないかと思います。今は送料もかからないですが、それがいつ有料になってしまうかもしれません。何もないということをベースにしておけば、万が一のことがあっても戸惑わないで済みますからね。生活する上で不便なところも多いですが、平郡島には、産業的にも観光地としても、まだまだたくさんの可能性があると思います。小さなパイを取り合うのではなく、移住者が、新しいなりわいをつくり出すチャンスはたくさん眠っていると思います。新しくチャレンジをしたい方には、ぜひ来てもらいたいですね。

画像:山口県へのIターンで開業・創業した先輩 仕事風景 その4

地域に溶け込むために、意識されたことはありますか?

都会のやり方を持ち込んだり、自分の主義主張を通そうとしたりするのではなく、島のやり方を受け入れる対応力が最も大切なことだと思いますね。そして地域の構成員としてやるべきことは、できるだけ積極的に取り組んでいった方がいいと思いますね。島の暮らしが満喫できる自分の体が動くうちは、ココでずっと暮らしたいなと思います。

最後に、将来の夢を教えていただけますか?

平郡島が生き残っていくためには、観光化をさらに推し進めていくことが大切だと思います。将来的には、観光ガイドが島を案内して、島の人たちが普段食べているモノをおすそ分けをするような感じで、お土産を販売していけたらいいなと思いますね。柳井港から平郡島の東港までは、フェリーで1時間40分かかります。この移動時間が、日常からオフタイムへと切り替わるのにとてもいいスイッチになります。日頃のストレスを解消しに、ぜひ、多くの人に足を運んでもらいたいですね。そして、五感すべてを使って、平郡島のいいところを味わってもらいたいなと思います。

画像:山口県へのIターンで開業・創業した先輩 仕事風景 その5
松川潤さん

まつかわ・じゅん/柳井市在住

神奈川県内の高校で33年間、教鞭をとった後に2007年に平郡島へ移住。漁業権を取得し、永年の夢であった「田舎で思う存分素潜りを楽しむ生活」をスタート。移住してきて一番良かったと思うことは、世の中の動きに惑わされなくなったこと。

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