2022年イベントレポート(第2回)
- YY!ターンセミナー
- 2022.07.24
2022年7月24日開催 山口ではたらくpart.1
〜農ある暮らし〜
今年度の「YY!ターンカレッジ」は「やまぐちへの入口」をコンセプトに、「やまぐち暮らし」の魅力を発見していただいています。
第2回目となる今回のテーマは「山口ではたらくpart.1〜農ある暮らし〜」。山口県へIターンし、実際に「農」に従事されている平岡さん、平井さんのお二人を招いて、山口県の農業や林業の魅力についてお話ししていただきました。
自衛官を辞めて就農! 次世代のモデルケースとなるような農業を
◉平岡 誠さん
株式会社デナリファームを岩国市で創業して3年目の平岡さん。出身は愛媛県で、就農する前は海上自衛官でした。農業の道を選ばれたのは、高専時代の同級生である「相棒」と「農業を事業として成功させたい」という夢を抱いたことがきっかけです。まだ20代半ばだったお二人は、「いつか農業をする日のために」と、それぞれ少しずつ資金を貯めていかれたそうです。
転機が訪れたのは、平岡さんが37歳の頃で赴任地は岩国市でした。次の転勤は、子どもが小学校に上がるタイミング。単身赴任を予定されていましたが、子どもの成長が著しい時期に一緒に過ごせないのが残念で、退官を考えるようになられたそうです。1年をかけて就農について奥様と話し合い、職場に告げるタイミングで、相棒にも報告されました。相棒は、数ヶ月も経たないうちに覚悟を決め、一緒に農業を始めることになったそうです。それから、さらに1年をかけて就農するために必要な情報を得、研修先も見つけられました。
デナリファームで生産されるのはイチゴとサツマイモ。しかし、研修先はトマト栽培を主とする農業法人でした。異なる作物ですが、農業の基本を学ぶためなので問題はないそうです。平岡さんの元に農業研修や相談に来られる方にもそのように説明されています。相棒と研修を受けながらいろんな作物を検討し、事業の戦略やコスト、収益性を考慮し、最終的に栽培作物をイチゴとサツマイモに決定されました。
デナリファームは、創業資金は全て融資でまかなわれました。イチゴを栽培する場合、収穫するまでに1年〜1年半はかかるので、その間の生活資金は貯めておく必要があります。事業資金と生活資金をきちんと分けて考えることがポイントだそうです。
お二人で会社を立ち上げる際、経営全般と販売は平岡さん、イチゴ栽培は相棒と役割を分担されました。平岡さんは事業計画を立てるため、農家や農業法人だけではなく、県の農林水産事務所、岩国市農林振興課、JA、そして、商工会に入会し中小企業診断士へも相談されました。農業に特化した知識は農業のプロに、農業といえども製造業と同じと考え、また、商売でもあるので、経営については製造業関係のプロに相談に行かれたそうです。
社名に使われている「デナリ」は、アラスカにある山の名前。平岡さんも相棒も趣味はバックカントリースキーで、デナリ山は誰もが憧れるバックカントリースキーの聖地。いつか憧れの山に行きたいという思いと、憧れの農業で食べていきたいという思いを重ねて名づけられたそうです。
また、コロナ禍において、非対面で販売できる自動販売機をハウス前に設置したことも話題となり、順調に業績を伸ばし、農業体験を通じた食育や障がい者雇用の促進も事業の柱に加え、持続的な農業を目指して日々邁進されています。
現在、スタッフは全部で17名。出退勤管理はアプリで行い、共通の連絡事項はLINEグループを活用されています。出勤・退勤時刻、勤務時間は全て働き手に任せ、好きなように働いてもらっているとのことです。
相棒と二人で新しい農業の形を生み出し、経営の安定化を目指す平岡さんは、「しっかり稼いで、その姿を見せていくことで、農業の担い手を増やしたい」と語られました。
林業は循環産業! 美しい緑を次世代につなぎたい
◉平井 崇剛さん
下松市に移住して丸8年。現在、山口県東部森林組合に所属し、林業の仕事に打ち込んでいらっしゃる平井さんは、群馬県出身です。20代後半で農業をしたいと思われましたが、当時はリゾート系のホテルで働かれていました。
転機は、2011年3月の東日本大震災。震災の煽りを受け、ホテルでは退職者が募られました。平井さんは退職を決め、奥様の実家がある下松市に移住されることになりました。移住当初は、奥様の実家のレストランでホールの手伝いをされていましたが、小さなレストランなので一生働き続けるのは難しいだろうと思い、就職を決意されました。自然の中で働ける仕事を検討され、直接、森林組合へ電話をし、就職を志願。ハローワークを通じて面接を受け、就職先が決定しました。体を動かす仕事は、想像以上に楽しさと充実感でいっぱいとのことです。
「林業は未経験者でも大丈夫」と話され、実際、平井さんは森林組合に入り、「緑の雇用」研修制度で3年をかけて林業関係の資格の取得とOJTで技術を身につけられました。林業のステップアップは、採用から3年間は、緑の雇用研修生として林業作業の研修を受けフォレストワーカーになります。その後、必要な資格の取得や研修を受け、5年以上の経験で現場管理責任者であるフォレストリーダー、10年以上の経験で総括現場管理責任者であるフォレストマネージャーになります。研修制度が充実しており、着実にステップアップが図れます。また、山口県にはチェーンソーで安全な作業が行える伐木のトップリーダーを育成する独自の研修もあり、サポートは特に手厚いそうです。
また、平井さんは、「林業は循環産業」と言われます。植え付けのために枝葉を整理する「地拵え(じごしらえ)」から始まり、次に、「植え付け」となります。そして、小さな苗木が草に負けないように周りの草を刈る「下刈り」。その次は、草丈より苗木が大きくなったら周りの雑木を刈る「除伐」という作業になります。それから、節の少ない質の良い木材を作るために「枝打ち」を行います。1haにだいたい3,000本を植えるので、途中、十分に太陽の光を届けるため、成長不良などの植栽木を間引く「間伐」を行い、その後、立派に育ったら、いよいよ「主伐」です。平井さんは、「主伐までだいたい40〜50年かかります。自分で植えた木を主伐することはありません。次の世代に託し、次の世代が主伐し、そして植栽と繰り返します。まさに循環産業ですよね」と話されました。
また、この一連の作業は、地拵えから間伐までの「保育」と、主伐・搬出の「林産」の二つに大きく分けられ、平井さんが現在担当されているのは林産だそうです。
危険を伴う林業ですが、幸いなことに、平井さんはこれまで大きな怪我はされていないとのことです。「林業の死傷年千人率は他産業に比べ約10倍くらいなので、やっぱり危険を伴う仕事ではありますが、最近は高性能林業機械と呼ばれる重機の普及や、チェーンソー用防護衣の着用が義務付けられたことなどにより安全性が高まっています。今後もますます改善されていくと思います」と話されました。
そんな危険を伴う仕事にも関わらず、平井さんが林業を続けられる理由は達成感にあると言われます。「日々、本当にいろんな山に出会います。管理されていない山は昼間でも真っ暗です。そういった山を間伐すると太陽が差し込み、パーッと明るくなるんです。周りの景色も見渡せるようになって、その時はものすごい達成感があります」と話してくださいました。
平井さんは林業に携わる中で、楽しいだけではなく、新たな課題も感じていらっしゃいます。「今、木を伐り出すためにはどうしても林道や作業道を作らないといけないので、山の形がごっそり変わってしまう。つまり、山にダメージを与えてしまうということ。そういった部分を少しでも回避できるよう、技術を高めていきたい。今後は、その解消に向けても力を注ぎたい」と話されました。
登山が好きで、自然の中で働くことが好きな平井さんは林業という天職に就き、未来を見据えて日々山に向き合われています。林業が、私たちの未来へとつながる循環産業であることを語られました。
以前とは全く異なる仕事から、農業や林業へと転身を図られたお二人が、ただ生活するためだけではなく、次世代のことを考えて仕事に向き合われている姿勢は印象的でした。お二人の「農」への思いをお聞きする時間となりました。
平岡 誠(ひらおか まこと)氏
株式会社デナリファーム 代表取締役
愛媛県出身。市民農園で植物を育てる楽しさを経験し、「農業を事業として成功させたい」という夢を抱き、2017年に海上自衛官を退官。岩国市で一年間の農業研修を経て、2019年12月に高専時代からの同級生と二人で、株式会社デナリファームを設立し、イチゴとサツマイモを栽培している。
子供たちを対象とした農業体験や農福連携にも取り組んでおり、地域に必要とされる会社を目指している。
平井 崇剛(ひらい たかまさ)氏
山口県東部森林組合 勤務
群馬県出身。自然が好き、登山が好きで「それらに携わる仕事がしたい」と思い、奥様の実家への移住をきっかけに、下松市の最寄りの森林組合へ電話。30歳で林業の世界へ飛び込む。
林業の仕事は、仕事の内容にも体力的にも「ハマった!」と感じており、現在は、チェーンソーでの伐倒作業や機械のオペレーターとして森林整備に携わる。自身の技術の向上と県全体の林業のレベルアップを目指している。