Vol.52023.12.15
Vol.52023.12.15
伊藤 志帆さん(28)
移住前の居住地
:東京都移住前の仕事
:芸能事務所のマネージャー移住後の居住地
:山口県宇部市移住後の仕事
:会社員(営業職)都内での忙しい毎日をリセットするため、4年半勤めた芸能事務所を退職。自らの年齢や当時住んでいた家の契約更新などさまざまなタイミングから、どうせ引っ越すなら移住もアリかもと考え始めた伊藤さん。瀬戸内沿岸部がいいかも…という直感と、偶然出会った移住相談員の勧めで、あれよあれよという間に宇部市移住を決めてしまいました。移住者の先輩との出会いが新居につながるなど、まるでわらしべ長者のように幸運を引き寄せ、思い立ってから半年ほどで引っ越しを完了。「移住はあくまで遠めの引っ越し」と話す伊藤さんの、軽やかでスピーディな移住ストーリーをお届けします。
東京都内の芸能事務所でマネージャーとして慌ただしい毎日を送っていた伊藤さん。担当しているタレントの売り込み、スケジュール管理、クライアントや出演メディアとの調整、送迎などに追われ、時には休日出勤もある。気付けば4年半の時が矢のように過ぎていました。憧れのメディア業界に身を置き、楽しさや充実感を得ながらも、次第に「疲れ」を自覚するように。
「芸能事務所での仕事は楽しかったのですが、一生の仕事にするかと考えたときに、難しいなと思い始めていました。駆け出しの若いタレントが売れるまでの営業活動には、地道な粘りが要ります。タレント業は自身そのものが商品であり表現者であり、常に過酷な評価にさらされる仕事です。そのメンタルをフォローするのもマネージャーの仕事の一部ですが、こちらも精神的にキツいものがあるのは事実…。人の人生を左右する仕事なので、大きな喜びがある反面、やり続けることに疲れてしまいました」
「ちょうどその頃、とあるライブがあって、仕事ではなくそのためだけに新幹線で大阪へ行ったんです。1泊2日の弾丸旅行。仕事で国内あちこち出かけることはあっても、そういう『思いつき』のような旅はそれまでほとんどしたことがなくて。その時、あれ、国内なんて行こうと思えばどこでも行けるな、ということに気付いてしまった。どこにだって住める、家なんて別にどこでもいい、って思っちゃったんです。広がる選択肢の存在に気付いたら、東京と出身の埼玉で一生を終えるのは…うーんなんだかな…、という考えが消えなくなって(笑)」
タイミングよく(!?)当時住んでいた家の更新期限が迫っていたこと、自身の年齢がまもなく28歳を迎えようとしていることにもなにか思うところがあり、さらには昔から海の近くに住みたいと思っていたという憧れも手伝い、駆り立てられるように移住について検討を始めたのでした。
仕事や年齢など自分の中でいろいろなタイミングが重なり、移住への想いを急激に募らせていく伊藤さんは、「とにかく家の更新期限までに移住する」というミッションを自分に課し、行動を起こします。
YouTubeで移住者が配信している動画を見漁ったり、地域おこし協力隊についても可能性をあれこれリサーチ。しかしネットで調べるのには限界があると感じて、東京・有楽町にあり、全国の都道府県が相談窓口を設け情報が集まる移住のメッカ「ふるさと回帰支援センター」に足を運ぶことに。ちなみにこの時伊藤さんが実際に相談窓口で話を聞いたのは広島県、山口県、兵庫県の3県だったそうですが、「瀬戸内がいいな」「日本史が好き」「城が好き」を総合して直感で選んだ3県だそうです。
その後、さらに情報収集を深めるべく東京ビッグサイトで開催されていた一般社団法人 移住・交流推進機構(JOIN)主催の「移住・交流&地域おこしフェア」に参加。全国各地の市町村レベルの自治体がこぞってブースを構える中、たまたま伊藤さんに声をかけたのが山口県山陽小野田市の担当者でした。
「ウロウロしていたら、山陽小野田市の担当者の方に声をかけてもらって。話を聞いた後、瀬戸内沿岸の他の地域も検討しているなら県の担当者も紹介してあげる、と言われて出会ったのが、やまぐち暮らし東京支援センター相談員の平尾さんでした。有楽町の相談窓口に行った時に対応してくださった方もすごく優しくて『山口いいなー』って思っていたんですけど、平尾さんもすごく優しくて面白くて、山口の人はなんだかいい感じの人ばかりだな、という印象を持ちました」
直感と偶然の出会いから山口県を強く意識し始め、引き継ぎなどのことも考えて早めに会社に退職希望を提出。退路を断ちます。
「広島は観光客も含めて人が多いイメージがあって。私は観光地に住みたいわけではなく、普通に便利に生活できたらそれでいいと思っていたので、山口はちょうど良いなというのもジワジワきていました。それに宇部は空港があって便利だし、電車も通っているので車がなくても暮らせるという情報を得たんですよね。それは魅力的だなと。しかも宇部はテレビで福岡のチャンネルが映る!という。動画サービスとか便利なものがありますけど、テレビ好きとしてはいろんな局が見れた方がいいのでこれはポイント高いんです(笑)」
やまぐち暮らし東京支援センター相談員・平尾さんに再び相談してみたところ、関係人口創出のために宇部市で開催される1泊2日のツアーがあるという情報をゲット。さっそく、2023年3月にこのツアーに参加。実はそこで初めて山口県を訪れました。同世代の女性参加者たちと共に、宇部の伝統料理を作ったり、農業を体験。地元の人と触れ合いから、宇部への印象をいよいよ深めます。
「ツアーの主催者である八代谷さんは、他県から移住してきた先輩移住者だったのですが、とても優しく頼りになる方で。後日家探しに来た時もわざわざ車を出してくれました。今も移住者交流のイベントに呼んでくれるなど、ご縁が続いています」
「宇部市」を移住先として絞り込んだ伊藤さん、いよいよ実現に近づきます。
2023年4月に家探しのため再度宇部を訪れます。
「不動産屋の紹介でいくつかの物件を見てまわりましたが、いまいちピンと来ず…。たまたま八代谷さんが紹介してくれた別の先輩移住者から、ウチに住めば!?と声をかけてもらったんです。家賃のわりに広さがある良い物件で、その方は別の場所に引っ越すことが決まっていると。その方が、この部屋にそのまま住めないのかな、と大家さんにも働きかけてくれました」
トントン拍子に話は進み、結局は移住者の先輩から部屋を譲り受けることになりました。グッドタイミングな出会いから、その方の送別会にも飛び入り参加。宇部の良いところや悪いところなど、移住者だからこそわかる情報をたくさん教えてもらえたそうです。安くて広い、好条件の部屋をそのまま引き継ぎ、翌月には引っ越しを完了。
「引っ越し後は、ツアーに参加したときに教えていただいた移住者向けの家賃補助制度『宇部市若者・子育て世代誘致家賃助成金』を活用しました。他にも対象法人に就業したらもらえる補助金があったり、イベントやフェアに参加するとお得な情報が手に入りますね」
いよいよ宇部暮らしが始まった伊藤さんですが、有給休暇が残っている夏頃までは休みを満喫すべし、と、まずは新天地でのんびりと過ごすことにしたそう。休んでいる間は何をしていたのですか?と聞くと「何もしないで、ただただのんびりしていました」とのこと。はい、愚問でしたと。
しかし有給休暇はいつか終わります(笑)。有休消化とともに就職活動を開始。土日休みであることを第一条件に、業種にはこだわらず探した結果、造船関係の部品を扱う商社に就職が決まり、営業職として新たなスタートを切りました。
「ライブや野球観戦のために、関西や九州へ遠征することもあるので、土日休みは絶対に譲れない条件でした。宇部は、博多に行くのも直通の高速バスがあるので便利。職場は下関なので電車で1時間くらいかかりますが、電車に乗るのは好きなので通勤時間は苦になりません」
地方といえば車が必須というイメージがありますが、伊藤さんは車は持たず、移動には公共交通機関を利用。
「車があれば便利だろうと思いつつも優先度は低め。車がなくても特に支障はありません。家は駅から徒歩圏内なので、電車と自転車があれば十分です」
「私はバリバリ働く仕事人間タイプではないことに、東京で4年半働いてやっと気付いたんです。出世に対する欲もなく、普通に楽しく生きられたらそれでいい、って思う。いつ死ぬかわからないから、ほどよく働いて、人に迷惑をかけない程度に自分の好きなことをして生きていたい」
東京での仕事と生活から離れ、移住先で心と体をのんびりリセット。そして、新しい土地で、新しい仕事を始めた伊藤さん。決してブレることのない芯の強さと、周囲のアドバイスを素直に受け止める柔軟性をあわせ持ち、直感とリサーチ力で人との縁やあらゆる情報を引き寄せた結果、驚くほどスピーディかつスムーズに移住を叶えてしまいました。
「東京と埼玉だけじゃない、と気付いたのと同じで、正直ここで死ぬまで暮らすつもりと腹を括っているわけでもありません。移住っていうと、なんか重たいイメージあるじゃないですか。私にとっては、あくまで『遠めの引っ越し』みたいな感じです」
移住を大げさにとらえるのではなく、あくまで引っ越しの延長線上と考えた伊藤さん。確かに“遠めの引っ越し”と考えてみたら、ふわりと心が軽くなりますね。あなたらしい移住のカタチが見つかるかもしれません。
伊藤さんも訪れた東京・有楽町の移住相談窓口・やまぐち暮らし東京支援センターは、ただ山口のことを聞いてみたい方でも大丈夫。お気軽に足を運んでみてください。そのほか、オンラインでも相談を受け付けていますので、お近くにお住まいでない場合やお時間がなかなか取れない方でもお気軽にお問い合わせを。